フクロウと鳥たち
タイトルは、イソップ寓話に登場する フクロウ にまつわるお話です。
物知りのフクロウは、ドングリが芽生えると、これが大きくなる前に全部地面から引き抜くようにと、鳥たちに忠告した。
なぜなら、ドングリが成長すると、やがてヤドリギを寄生させ、そのヤドリギからは災厄をもたらす薬、トリモチが抽出され、それで皆捕まえられてしまうと言うのです。
次にフクロウは、人間がまいた麻の種は、鳥たちに災いをもたらす予兆となる植物なので、取り除くようにと忠告した。
そして最後に、狩人がやって来るのを見て、この人間は歩いているが、彼らは我々よりも速く飛ぶことができる。矢を射ようとしているからだ。
と予言した。
ところが鳥たちは、フクロウの予言をまったく信用せず、それどころか彼女のことを、ただの心配症の気鬱だと笑い飛ばした。
しかしその後、鳥たちは彼女の言葉が正しかったことを思い知ることになる。彼女の知識にも驚嘆した。
それからは、彼女が現れる度に鳥たちは、あらゆることを知っている彼女の知恵にあやかろうと集まってくるのだが、彼女はもはや忠告を与えることはせず、かつての鳥たちの愚鈍な行いを一人嘆くだけだった。コキンメフクロウ (小金目梟) 学名: Athene noctua 英名: Little Owl
学芸・知恵の象徴のイメージは、紀元前の古代ギリシャの女神アテネとともに始まります。
都市国家アテナイは、農業の守り神として女神アテネを祀り、当地に多くすむコキンメフクロウをその従者とみなしました。
やがてギリシャ文明の中心地として発展すると、女神アテネは農業神から学芸の神へと変わり、従者のコキンメフクロウも学芸・知恵の象徴へとそのイメージを変えていきました。
ヨーロッパで文芸復興(ルネッサンス)期に入ると、古代ギリシャ文明の再評価がおこり、学芸・知恵の象徴というイメージが復活し、大航海時代をへて世界中に拡がっていきました。
日本へは、明治の文明開化期に伝えられ、広く受け入れられていきました。
ふくろうは、漢字で福朗、福籠、富久郎、不苦労などの当て字ができるので、そこから福を招く鳥のイメージが生まれていますが、日本独自の発想です。縁起物としてのお守りや土産物が沢山作られていますが、日本でふくろうを瑞鳥(めでたいことの起こる前兆とされる鳥)とみなす風習は、すでに「日本書紀」(720年)の時代から記録があるそうです。
古代ローマでは、女神アテネの役割は女神ミネルバに受け継がれ、知の象徴のふくろうはミネルバの使いとみなされるようなりました。
このイメージは、18世紀末のドイツの哲学者ヘーゲルが記した「ミネルバのふくろうは黄昏に飛びたつ」という言葉によって有名になり、「ミネルバのふくろう」は知の象徴の代名詞として使われるようになりました。 -豊島みみずく資料館のHPより-
コキンメフクロウは、 掛川花鳥園 のブログでも取上げられていますのでご覧下さい。
- [2008/08/27 12:00]
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